ふみのや ときわ堂

季感と哀歓、歴史と名残りの雑記帳

悲しむなかれ、我が友よ。旅の衣をととのえよ。

かなしみセンサーの鍛錬に余念がない、切なさ向上委員会のみなさま。
そう、あなたです。
だいたいこのタイトルを聞いただけで、ピンときますね。
きっと戦争だ。
あたりです。
友にわかれを告げるだけで。旅支度をするだけで。
出征する学友の、若いまなざしが、胸を去来します。
かなしい旋律シリーズ、つづきます。

惜別の歌は、一番はこう。

  遠き別れに たえかねて
  この高殿に 登るかな
  悲しむなかれ 我が友よ
  旅の衣を ととのえよ

「たえかねる」ということばは、だいぶつよいので、いきなり結末を見せてくるようなものです。
もうこの時点で、予期しています。予言ともいう。
そこから、「整えよ」の凛然とした佇まいに、全部もっていかれる。
わが友よ、ととのえよ、のライムが、寄せてはかえす波のリズムで、情を置いていく。
さすが北原白秋、と思ったら違った、島崎藤村だった。
 
なるほど、島崎藤村。時系列がおかしい。このひとは明治うまれだ。戦争は関係ない。
と思ったら、中央大学のホームページに、その謎ときがあった。

「惜別の歌」作曲者 藤江英輔氏逝去 | 中央大学

なんのことはない。藤村の詩に、中央大の学生が、出征する学友のために旋律をつけたのだった。
そして学生歌にまでなったのだった。
旅の衣をととのえた友は、やはり出征してしまうのか。

 

出征といえば、古今和歌集のこの歌。

   しひてゆく 人をとどめむ 桜花 いづれを道と 惑ふまで散れ

きっと違うのだ。
ただの離別歌だ。
だいたい、古今和歌集は、平安前期だ。戦乱の世でもない。でもどうしても連想してしまう。
しいてゆくひとが、とどめられぬひとが、桜花ということばが、そしてそれが散ってしまうということが。
ただの男女のわかれのはずが、死出の旅路ではないはずが。
さくら花の下に、陸軍の軍服がみえる。ふりむくと、軍帽からのぞく、若いまなざし。
かなしみセンサーを鳴らしてくる。


ところで、さきほどまちがえた、北原白秋のつづき。
「椰子の実」について。
この歌、実は聞いたことがないのに、歌える。
聞いたことのない旋律なのに、どうしても忘れられない。
小学生のころ、50代くらいだろう、塾の国語の先生がいた。
髪はつややかに七三にわけられていて、いつも身ぎれいにしていた。
カッターシャツに、うすいニットをかさねて、スラックスは、くっきり縦線がはいっていた。
北原白秋は、ときおり授業に登場した。
登場するたびに、先生は言及した。
おい、みんな知らないかと。
そこに居並ぶのは、10年ほどしか生きていない小学生。もちろんだれも知らない。
先生は、最初のひとふしだけ歌う。

―――名も知らぬ、遠き島より。
音階はよくわからなかったが、声は渋かった。
いま思えば好きな歌だったんだろう、ひとふしだけ、先生はよく歌った。
―――名も知らぬ、遠き島より。

小学生は、あまり物を深く考えないので、よくリクエストした。
先生、椰子の実、歌ってと。
だからその先生の、あってるのかあってないのか、よくわからない、低い節回しだけが、心に残っている。
その節回しでなら歌える。
最初のひとふしだけ。

ひとふししかしらない、小学生にはわからなかったが、流離の憂いの歌なのだ。
中央大の予科生のもとに、赤紙がとどいた。
学友に惜しまれ惜しまれ、旅の衣をととのえた。
季節は春。まどうほど散った桜花に送られ、かれはふるさとを離れた。
船旅をつづけ、異郷に立った。
狂おしく胸をみたすのは、流離の憂い。
名も知らぬ、遠き島より、うつろに望む。
いつの日か、あるべきところへ。帰るべきところへ。
 

  われもまた 渚を枕
  孤身(ひとりみ)の 浮寝の旅ぞ
  実をとりて 胸にあつれば
  新なり 流離の憂
  海の日の 沈むを見れば
  激り落つ 異郷の涙
  思いやる 八重の汐々(しおじお)
  いずれの日にか 国に帰らん

 

島崎藤村は、小説より詩のほうが好きです。

島崎藤村詩集 日本の詩人