ふみのや ときわ堂

季感と哀歓、歴史と名残りの雑記帳

歴史上の人物を、それぞれがメンターとするなら、誰がふさわしいか。

このお題がたのしすぎて、風邪をひいて寝込むという、いけてなさすぎる境遇のうちに、ひたすらキンドルを読んでいた。
ベッドのなかで。
寝てない。
おかげでまったく眠れない。
司馬さんの「国盗り物語」を読みながら、安んじて眠れるひとが、どこにいるのだろうか。


そのなかで、こういう文章があった。
「信長には、 稀有な性格がある。人間を機能としてしか見ないことだ。織田軍団を強化し、他国を掠め、ついには天下を取る、という利ぎすました剣の尖のようにするどいこの『目的』のためにかれは親類縁者、家来のすべてを凝集しようとしていた」
「能力だけで部下を使い、抜擢し、ときには除外し、ひどいばあいは追放したり殺したりした」


うっ…!!
まぎれもない「戦略性」!!
道具のように、ひとをあつかう、この合理主義。
ストレングス・ファインダーの「戦略性」にしか聞こえない。
戦国の世に、コマのようにひとを操る、その気性。
典型的すぎる。


そして秀吉は、あたえられた役柄を、こまやかに察知し、演じることができた。
道具として、自分を仕立てた。
自我を捨て、コマとして生きた。
こんなに自分が大好きなひとが。
ひるがえって、光秀は、まだ中世のただなかにある、当時の常識人だった。
人間を機能として見ることはできない。
門閥や家柄をみる。育ちをみる。
そうやって、本能寺の変において、破壊的な合理主義は、中世に弑された。
しかし、はたして現代が、中世と、かけはなれているといえるだろうか。
現代人のメンタリティは、ひとを機能としてしか見ない信長を、受けいれられるだろうか。
本能寺はくりかえされるのではないか。


司馬遼太郎がしばしば言及する、「革命の三段階」のうち、一段階目に信長がくる。

破壊するひと 実行するひと 完成させるひと
思想家 戦略家 技術者
危険すぎてすぐ殺される 戦いの途上で死ぬ 長寿

信長 吉田松陰 

秀吉 高杉晋作 西郷隆盛

家康 山県有朋

これを思うと、松陰が獄中に散ったように、本能寺は延々とループする。
つまりは普遍的なのだ。
時代は信長をもとめ、信長は、毒の皿をみずから食らう。
本能寺は、かならず炎上する。
何度も燃えあがる。
しかしここで朗報がある。
なんと現代は、さほどかんたんには殺されない。
(※社会的死はありうる)

というわけで、パラダイムシフトを起こしたい人は、この1段階目の人が性に合うのかと思う。


ところで、わたしは仁君につかえたい欲求がある。
孔明になって、玄徳におつかえしたい。
その徳がこの世を、あまねく潤すのを、まのあたりにしたい。
上杉鷹山でもいい。保科正之でもいい。


それでは、戴くべき仁君が、現世にいなければ、どうすればいいんだ。
それを探す目を磨くところから、はじめないといけないのだろうか。
ただ、仁君のかげに、隠れたいだけのような気もする。
仁君の維持を、見守りたいだけなのかもしれない。
仁君がどう、仁君たらんとしていたのか、なにが仁君たらしめたのかを、つきとめたいだけのような気もする。
そのゆきたけを、熟視したいだけのような気もする。
時間をひっくりかえして、かれに教育をほどこした、武田信玄の娘(見性院)になりたい気もしてきた。
つまりは、タイムマシンにのって、現地調査しにいきたいです。

 

メンター探しの旅はつづく。

 

 

▼「目標志向」と「自我」も、きっとある。キングオブジパング。

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