ふみのや ときわ堂

季感と哀歓、歴史と名残りの雑記帳

へこんだときに読む本(平安時代編)

大学のころに作った、「おちこんだときに読む本リスト」が、発掘された。
しかも、せっせとコピーをとっていた。
殊勝なことに、コピー用紙をまとめて、手とじ本にしてあった。
失敗したホチキスの穴があいている。
手折りしたところに、手あかがにじんでいる。
いじましい。
しんみりきて、思わず手にとった。

会話文からはじまっている。
空海と、橘逸勢が話している。
ときは、平安時代、ところは、唐。
当時、世界を見渡しても、唐ほどの先進国はなかった。
その大国へ、留学生たちが集結した。
辺境の朝貢国、日本も例外ではなかった。
逸勢は、空海とともに、唐へわたった官僚である。
かれは、とても人間らしく描かれている。
このときすでに、学問僧であった、空海を浮きたたせるためだろう。
逸勢はいう。(沙門空海唐の国にて鬼と宴す・巻ノ三/夢枕獏より引用)

 

「おれは、たまたま、おまえと一緒にいるだけの人間だよ。そのおれが、あんなふうに声を大きくしてしゃべったというのが、どれだけみっともないことかというのも、よくわかっている」
「逸勢よ、安心しろ」
「何のことだ」
「声を大きくする逸勢も、怖がっている逸勢も、あの国のことを小さいという逸勢も、懐かしいという逸勢も、今、おれの前でおれを見ているおまえも、みんな橘逸勢なのだ。どれひとつとして、おまえでないものなどないのだ。どの逸勢も必要なのだ」
「――」
「どの逸勢を残してどの逸勢を捨てるということなど、誰もできはしないのだ。おまえも、おれも。すべて、丸ごと全部合わせて、それが橘逸勢なのだ」
「――」
「おれは、この国で、おまえという人間がおれの傍にいてくれて、本当によかったと思っているのだ。そういうときに、どの逸勢にいてほしくて、どの逸勢にいてほしくないとかいうことは考えたことがない――」
「本当か」
「密を愛するということは、この天地を――宇宙を丸ごと愛するということなのだ。その中のどれが清くてどれが清くないとか、どれが正しくてどれが正しくないとか、そういうことはないのだよ」

 

 

この本のなかの、空海はあたたかい。
ふところが深い。
解脱しているようなことを言いながら、つきはなしたところもない、厳しいところもない。
飄々としているのに、まなざしに温度がある。
そしてことばのはしばしから浮かぶ、イケメンオーラ。
上の文面を、男女にわけて、密を愛するあたりを、ただの主義主張にしたら、ほんとうにただのイケメンである。
恋愛小説のつくり方として紹介できそうでもある。
ただ、ここまで人間ができていて、涅槃にいる人であったら、わりとすぐ死ぬ。
伏線である。
そのうちイケメンは、「俺に任せて、おまえたちは先にいけ」といいだす。
わかりやすい。
というわけで、無事に死なずにすむように、空海は学僧である。
これだけでぐっと生存率があがる。
むしろ死んではいけない。
逆に死ねない、ジョーカーのような存在である。
そのジョーカーと、逸勢は仲がいい。
逸勢はすぐくよくよして、すぐ自信をなくし、空海に打ちあける。
自分をおおきく見せようとしては、たちまち恥じる。
なあ空海よ、と、逸勢が語りかける。
空海はこせつかない。
軽んじることもなく、雅やかといえるくらい、おおらかに返す。
なんだろうこの感覚は。
大学生のように、高校生同士のように、空海と逸勢は仲がいい。
あのころのような、悩みのさわやかさが、この本にはある。
苦悩の沼が、さほど深くはない。
諦念がまだ、うすいためだろうか。
へこんだボールは、まだはずむ、まだもどる。
おとなになって、だれにもとめられぬままに、よどんでいくものが、いまだに澄んでいる。
作者が、澄ませたままでいる。
ほんとうは、これほどに単純なものであるのだと、示すために透明度を保っているかのようでもある。

とはいえ、この本にある苦涯は、言語に絶するものである。
読みながら何度、紙から眼をはずしたか。
まどの外を見遣って、嘆息したか。
文字どおり、ひとに話せないほどであった。
しかしそのなかでも、空海は、悠長に決然としている。
ほとんど逸脱している。現世を。現世から。
密とは、さほどに甘いものなのだろうか。


空海と逸勢の会話は、こう続いていく。

 

 

「たとえば、あそこに咲いている桃があるだろう」
空海は、夕暮れの大街の脇に咲き残っている桃の花を指差した。
「うむ。あるがそれがどうしたのだ、空海よ――」
「おれたちの足下には、ほれ、そこに小石が落ちている」
 空海は立ち止まって、逸勢の足の先の小石を指差した。(略)
「この石と、あそこの桃の花と、どちらが正しくて、どちらが正しくないのだ?」
 問われた逸勢は、一瞬、何のことだかわからない様子である。(略)
「おまえの質問の意味がよくわからないのだが空海、それはちょっとおかしいのではないか」
「おう」
「この石とあの桃の花と、どちらが正しくてどちらが正しくないかということなど答えられるわけはないではないか」
「その通りさ、逸勢」
 空海は、破顔して歩き出した。
「この宇宙に存在するものは、すべて、存在として上下の区別はないのだ」
「――?」
「この天地の間に存在するものは、すべて存在として正しいと言ってもいい」
「む、む…」
「あの桃の花が存在として正しいのなら、さっきの小石も存在として正しいのだ。あの小石が正しいのなら、あの桃の花も正しいということなのだ」
「う、うむ…」
「あるものが正しくて、あるものが正しくないなぞというとき、それは天地の理がそう言うているのではない。人がそう言うておるのだ」
「うむ」
「あるものを正しい正しくないと区別するというのは、それは人の理ぞ」
「むう」
「つまり、あの小石が正しいのなら、毒をもった蛇であろうと、それは正しいということなのだ」
「――」
「あの桃の花が正しいのなら、道ばたの犬の糞であろうとそれは正しいということなのだよ」
「――」
「桃の花はよい匂いがするから正しくて、犬の糞は悪い匂いがするから正しくないというのは、それは人の理さ」
「う、ううむ」
「密の教えというのは、まず、この天地のあらゆる事柄を、肯と、自らの魂に叫ぶことなのだ。この宇宙に存在するすべてのものを、丸ごとこの両腕の中に抱えこむということなのだよ――」
「そうすれば、わかる」
「何がだ?」
「この宇宙を丸ごと両腕の中に抱えこんでいる自らもまた、他のものと共にこの宇宙に丸ごと抱えこまれているということがだ」

 

 


夢枕獏『沙門空海唐の国にて鬼と宴す』巻ノ三

沙門空海唐の国にて鬼と宴す 巻ノ三 (角川文庫)